ゲームを作ったり、ゲームを遊びまくったりしている せっき~の生き様。 まずは目次をご覧ください
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「80年代マイコンナイト」というイベントがありました。
長くなったので、前半です
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_140828204679_1.htm
1980年代当時 マイコン少年だったみんなが集う そんなイベントです。
「PC98」とか、「MSX」とかのワードが飛び交う
ゲストも
櫛田ナム子氏 (元・ログインスタッフ)
ロンドン小林氏 (元・MSXマガジンスタッフ)
呉英二氏 (呉ソフトウェア工房・社長)
と、とても豪華な面々
おっさん世代ばかりが集う、素敵なイベントでした。
特に台本があって話するわけではなく
一つ一つ題材について雑談するようなノリで
なかなか濃い話題が飛び交い続きました。
それにしても、会場内のBGMは 「ラストハルマゲドン」「イース」をはじめ、
いろいろなレトロPCゲームのBGM集になっていて それだけでワクワクする楽しい空間でした
後は、「パソコンサンデー」の曲が流れたりとか
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●80年代マイコン大百科
今回のイベントを開くことになったきっかけ
この本自体は、筆者の家に ガレージ一つ分の 当時のPC雑誌があり
(大変羨ましい!)
それをアーカイブ化しよう として、作られた本。
内容的に、MSX分が弱いのは 奥が深くて、それだけで1冊できてしまう程なので
あえて取り上げなかった との事
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●PCハードの話
・PC6001
しゃべるパピコン
当時は 一番欲しいPCハードでしたよね
→ 「こんにちはマイコン」の影響
→→ 当時、PCを買ってもらえなかった少年は
「こんにちはマイコン」の付録 実物大キーボードを使って
載っているプログラムを打ち込んだつもりになったと言う・・・
・MZシリーズ
熱狂的なファンが多いと言う、SHARPのPC
SHARPと言えば、「パソコンサンデー」
→ あの頃は、日曜の朝に そんな濃い番組やってて 凄い時代だったなぁ
・FM8
バブルメモリって なんだったんでしょうね・・・
→ コナミのバブルシステムとは違いますよね
ポプコムで CGプログラムが掲載されていたのだけれども
PC88とかでは、絵を描くとき LINE文を駆使して描かないといけないところを
FM8では、CONNECT文を使って簡単に描ける
→ じゃあ、FM7を買えば ラムちゃんがたくさん描けるぞ!
(そんな時代です)
→→ けど、FM7のゲームって 5キーを押さないと 自機が止まらないしなぁ・・・
(ハードの性質上、キーを押した という情報は取れても キーを離したという情報が取れなかった。
そのため 新たにキーを押さないと 指を離していても直前のキーが押され続けていると判定してしまう。
なので、移動したら 2468キーで移動したら わざわざ5キーを押さないとキャラが止まってくれない)
・MSX
どれくらいの人が MSX持っていましたか? → さすが、なかなか居ますね
この中で MSX1 持っていた方 → あまり居ないですね
ほとんどの人は、MSX2でしょうね
MSX2+を持っていた方は? → この時点でパラパラ
まさか、MSXTurboR 持っていた人なんて 居ますか?
→ 持っているだけで笑いが起きる MSX TurboR
(せっき~は、もちろん持っています)
5~6万円くらい、テレビに接続できるホームコンピューターという位置づけで
ビルゲイツと西和彦の企画の物 生まれた。
(MSXは MicrosoftX の略 だけれども
Matsushita Sony X の略だ・・・ という説も)
カシオのみ 29800円という、恐ろしく安いMSXを発売した
→ ただし メモリは8KByteしか積まれていなかった・・・
→ コナミのゲームだけは、全て 8KByteのMSXでも動くように作られていて
凄かった。
MSX2は いいPCだったので 沢山売れた。
この頃がMSXの全盛期
→ しかし、ファミコンの発売
→→ MSX2+、MSXTurboRと発売していったけど
時代には勝てず、消えてしまった・・・
しかし、MSXは ファミコンでも パソコンでもない独自の文化が作られ
今見ると MSXが果たした役割は大きかった。
→ ゲームコンストラクションツールが確立したのは MSX
シューティングゲーム・ツクール (吉田工務店、吉田建設、吉田コンツェルン)
RPG・ツクール (DANTE)
→ また、メタルギアが生まれたのも MSXです。
・この頃のパソコン通信って言えば 音響カプラですよね!
→ 今でも、音響カプラって使えるの??
→→ 黒電話だったら使えます。
しかし、300ボー の通信速度って・・・ 今考えると・・・
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●PCゲーム雑誌の話
多くのPCゲーム雑誌は、創刊当初はゲーム主体の内容ではなかった。
科学総合雑誌とか、そのような感じ
内容も、お堅い 真面目な物が多くて
途中から、ゲーム系の内容にシフトしていった。
ログインも、「コンピューターもしまいには笑う」という特集号の後
おふざけ路線に進んでいった。
・ログインで、アメリカのソフト売上ランキングとか 良くわからないコーナーもありましたよね
誰得だったんでしょう?
→ ログインが期待されていたのは、良くわからないけど なんかカッコいい情報
なんか凄そうな内容
→→ そういった点からすると、こういうコーナーも大事
・ログインは途中から、月2冊発行になった。
→ 編集者はとても大変で、足軽という身分のアルバイトをたくさん増員した。
(櫛田ナム子氏は それで入った。
ちなみに 忍者増田は、スカウトによるエリート枠)
→→ みんな、壁に向かった机に並べられていて
先輩が「仕事空いてる?」と聞かれると それを取り合って記事書いた。
時給500円スタート
・当時のゲーム画面写真は、実際カメラで撮っていた。
(ビデオプリンタもあったけれども)
→ とあるゲームの地図を全部写真で撮って 貼り付けたところ
フィルムの現像に100万円かかってしまった。
→→ 怒られるところだった
・ポプコムといえば
「三遊亭円丈のドラゴンスレイヤー」のコーナー
→ 今こんなん書いたら絶対怒られるよ
っていうような内容(ゲームの批判)が たくさん書かれていて凄い
→→ この頃って、ちょっとゲームの悪口を書いても 許される風潮だった
・コンプティーク
ファミコン版ゼビウスの 裏ワザ情報の記事を載せた時にブレイクした。
(隠しコマンドで 無敵になれる)
→ ファミコン少年がこぞって買って行った
(ちょっとえっちなゲームとかも取り扱っていたのに)
・テクノポリス
市販ゲームの改造コーナーがあって 問題だった
→ BPSとは それで大喧嘩になったみたい
(ブラックオニキスのキャラクターデータ改造ツールで)
→→ 謝罪記事を載せていたけど、「けど、俺たちは悪くないぞ」な論調だった。
・ポプコムは ラムちゃん推しで
テクポリは ミンキーモモ推しでしたね
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と、こんな内容でした。
濃いなぁ
こんな話が、今聞けるとは 楽しい
ここで休憩が入ったので 記事も いったん、ここで切ります。
次は 一番楽しみな、PCゲームの話題に移ります。
特に、呉ソフトウェアの呉さんのお話があり 本当に楽しい内容でした。
そう考えると、一記事では収まり切りませんよね
という事で 後半に続きます。
http://sekigames.gg-blog.com/Entry/293/
↓ 休憩時間に、閲覧自由な 当時のPC雑誌を 皆で読みふけるの図
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ゲームプログラマ
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